1998年 バブル期にした無節操な投資が祟り、ついに父親が破産。私は住む家を失い、友達と暮らし始めました。
1999年 友達と車で遊びに出た帰り、赤信号を無視して来た飲酒運転の車に突っ込まれました。私以外は皆かすり傷でしたが、助手席に座っていて直撃を受けた私は首の骨を折り、4ヶ月病院のベッドで寝たきりとなりましたが、頚椎をチタンのネジで固定する手術をし、なんとか生き延びました。
2000年 巷はITバブル真っ只中。インターネットの普及によって『世界が変わるぞ』と感じていた私は、入院中に読んだ『TCP/IPがわかる本』の知識を最大限に生かし、ネットワークエンジニアとしてIT企業で働き始めました。
2003年 ネットワークエンジニアとなった私はその頃、業界内では知らない人間はいない大手外資系企業で働いていました。起業のための資金を貯めるため、報酬の良いフリーランスとして活動しつつ、ビジネスを始める準備をしていたのです。
2005年 やっとの事で貯めた資金で始めたビジネスは大失敗に終わり、私はビジネスへの興味を失っていました。夜な夜な六本木で遊び呆け、人とのつながりだけが増えていきました。
2007年 私は六本木で出来た人脈を元にIT系人材派遣のビジネスをはじめていました。Webマーケティングを自分で行い、現場の営業はビジネスパートナーに任せる体制で挑み、当初はそこそこの収益をあげましたが、ビジネスの内容が単調なマッチングやクレーム処理であったため興味を失い、パートナーと相談して人材派遣業はクローズする事にしました。
2011年 日本に飽きた私はタイにいました。現地法人を作ってビザを取得し、起ち上げた日本人をターゲットにしたビジネスは多くの利用者を集めました。その頃から自分はWebマーケティング、その他は誰かに頼むというビジネススタイルになっていました。
2013年 私はまた六本木にいました。タイでのビジネスは薄利多売だったので見切りをつけて友人に譲り、日本で新たにビジネスを構築する準備を進めていました。
2015年 新たに日本で立ち上げたビジネスは、かなり大きな利益を生みました。入ってくるお金は多すぎて使いきれず、ビジネスクラスのフライトで世界中を旅して回っていたら、仕事をする気力を失い、ビジネスはパートナーに譲りました。このあたりで少し人生を見つめ直す時期だと思ったのです。
2018年 私の人生において最も大きな転機が訪れました。息子が生まれたのです。私は息子と共に過ごす時間を最大化するため、ライフスタイルの再構築をはじめました。無駄なお金を使うことを止め、働く時間を最小限にし、人との付き合いを止めました。
2021年 私は今まで獲得してきた知識と経験を元に、ビジネススタイルをもっと穏やかなものに変えはじめました。今ではほとんどの仕事が1人で出来るものです。時間と場所に制約のある仕事はほとんど無くなりました。私の望みは家族で静かに暮らすことです。家族以外の何者からも期待されないことです。
2023年 4歳になった息子は色々な事が話せるようになりました。彼の夢、理想、愛。そういったものを守るため、私はもう少し強くならなければならないと考えています。現在私が持ち合わせている強さの多くは苦難から獲得したものです。